ヒトコトだけでいい
※切なめ/浮気
最悪だ…。
ああ、どうして俺の耳はこんなに優秀なんだよッ。
部屋に乗り込む前に聞き慣れた喘ぎ声を拾ってしまった。
最近の俺に対する態度を問いつめようと息巻いてノックをする、本当に直前だったのに。
「…あ、ン……っぁ…」
どういうことなんだよ、これは。
俺がスイスに行っている間、何がどうなってどうしてこうなるんだよ。
スイスに行っていたと言ってもたった一ヶ月だし、それに一週間前は空港まで家族と迎えに来てただろうが。
こっちが恥ずかしくなるくらい笑ってたくせに。
いきなりあいつの態度が変わったのは三日前。
着信拒否にされてしまったのは二日前。
そして忙しい時間の合間をぬって部屋に訪れた今日、俺は最悪な浮気現場に直面している。
こんな修羅場、俺には絶対に縁のないものだと思っていたのに。
どうするべきなんだ、これは。
俺は部屋に突入していいのか?
何て言ったらいい?
怒鳴り散らせば良いのか?
怒ってもいいんだよな…?
何なんだよ、この状況!!
こんなの俺の人生の計画に組み込まれていないはずだ。
浮気なんてこの俺がされるはずがない。
俺は完璧なんだから。
不満なんてあるはずがないんだ。
じゃあこの状況はなんだ?
「おいッ!!」
とりあえず飛び込んでみた。
浮気は現場を押さえれば言い逃れ出来ないのだから、とりあえずここは飛び込んで損はないだろうと思ったのだ。
しかし恋人であるはずのあいつが見知らぬ男と結合している現場に踏み込んでしまって0コンマ1秒で俺は後悔する。
どういうことなんだとも問い正せない。
俺を振り返ったあいつは何の感情も浮かべずに俺を空気とみなしたのだ。
あまりのショックからなかなか立ち直れずにいた俺は、はっとなって辺りを見渡した。
いつの間にか自分の家の前にいる。
俺はあれからどうしたんだ?
浮気現場に突入した後の記憶が全くない。
「…まさか逃げ出して来たのか、俺」
もしそうだったら何て格好悪いんだろう。
しかし確かめる術が無い。
「…え、村田?別にいつもどおりだったけど」
とうとうプライドを捨てて弟にあいつのことを聞いてみたが、返ってきた答えに収穫はない。
着信拒否されているし、弟も駄目だというならやはり残された手段は直接村田と会うだけになってしまった。
だが浮気現場を目撃した後なのだ、そう気軽に会いに行けない。
アイディアが煮詰まってしまって悶々としているところに、見慣れた番号が携帯の液晶画面に表示された。
「もしもし!?」
思わず声が裏返ってしまったが気にしている余裕はない。
「…お久しぶりです」
少し元気がない、か…?
「そうだな」
もっと気の利いた返答は用意できないものかとも思うけど、あいつは特に気にしていないようだ。
そのままかすれた声で言葉を続ける。
「今から…会えますか?」
「今から?」
すでに夜の10時を回っているが、なにせアレの後だ。
会わないというわけにもいかず了承した。
あいつが指定したのは両方の家のちょうど中間にあたる公園の入り口だった。
待ち合わせ場所にしてはいささか物騒なところではあるが、どこへ出かけるとも決まっていない時などの待ち合わせ場所は大抵ここになる。
キキィッ
ただあいつに会いに行くだけなのにいつにも増して緊張している。
自転車をこいではいるが、おそらく走った方が何倍も早く公園に着けただろう。
小さな街頭と自動販売機に照らされたそこに、すでにあいつは到着していた。
ところが見渡してみてもあるはずの自転車がなかった。
そこで一つの結論に辿り着く。
「お前、いつからここにいたんだよ」
電話をした時に風の音は感じなかった。自転車じゃなく歩きだったにしても自転車の俺より早く公園に着けるはずがない。
手を掴んで確かめてみると、やはり指先に血の気はなかった。
「なんか言えよ…」
無言で俺を見上げてくるこいつに何を言ったらいいのか分からなくなる。
色々問いただしてやるはずだったのに。
「おい……ンッ…」
細い腕がすらっと伸びてきて俺の首に絡まった。
引き離す暇もなくキスがくる。
まるで余裕のない熱っぽいキスだった。
全くあいつらしくない。
いったい何があったんだ?
「…オニイサン」
顔を合わせると頬に一筋涙が伝っていった。
もしかして俺が泣かした、のか…?
* * *
覚悟はしていたつもりだったんだけど。
やっぱり欲しかったその言葉はなくて、とうとう爆発してしまった。
らしくもない衝動的な行為に溺れてしまう。
こんなことは初めてだったからどうしていいのか分からない。
もうなるようになってしまえと適当に流されていたら、引き返せない所まで来てしまっていた。
まだ一度も好意を口にしてもらえていないのに、こんなことをしてしまっては完璧に嫌われてしまっただろう。
元々期待できるほど可能性があったわけではなかったのに。
しかし分かっていても行為は止められなかった。
求めていたのはたった一言の言葉だったのに、それだけでは済まないような大切なものを手放しすぎてしまった。
「…くは好きでした」
公園の汚い壁を背もたれに座り込んで、欲求だけを原動力に体を動かす。
もうすぐ冬になるのに二人そろって下半身を晒して、露出している部分の肌を舐め回して、馬鹿みたいだ。
これを最後にしよう、と思った。
好かれてもいないのに図々しく肩を並べられるほど気力はない。
「おいッ、おいッ…聞けよ!いったいどうしたんだよ、お前。何か嫌なことでもあったなら聞いてやるからさっさと言え。気になるんだよ、お前のそういう態度」
兄弟そろって鈍いんだよね。
そこもすごく居心地がいいんだけど。
吐精したものを舐め終わった後、もう一度自分から精一杯の思いを込めてキスをした。
* * *
意味が分からない。
いきなり呼び出されて野外でHをしたかと思えば、また翌日からあいつの態度は冷たくなった。
着信拒否も変わらない。
いったい何なんだよ。
もうすぐここを発たなきゃいけないっていうのに。
もう一度俺はあいつの部屋に行くことにした。
先日のあいつの表情やら行動やらを考えて、原因はどうやら俺にあるように思えたからだ。
「…ぁっ…ン」
まただ。
どうして俺の耳はこんなに優秀なんだろう。
部屋の扉をノックする直前に、部屋の中から聞き慣れた喘ぎ声が聞こえた。
*FIN*