「ほんの一年前じゃ考えられなかったよねえ。軍人さんに捕まらずに国の間を行き来できるように なるなんて」 いかにものん気な声に応えたのはすぐ傍に立つ軍服をまとった青年だった。 「アンマルチアの遺産を最大限利用して、不法入国を繰り返していた人の言葉とは 思えませんね」 作業中の彼女の耳に皮肉が届くわけもなく、ヒューバートは深くため息をついた。 目下全力でフェンデルの大紅蓮石を調査中のパスカルは、大紅蓮石そのものだけでなく他の二箇所の 大W石の仕組みについても調査を始めていた。 中でもここ、ストラタの大蒼海石(デュープルマル)については数日に渡って丹念に調べ膨大な量の データを取っていた。 しかしいくらアンマルチア族とはいえ、未だ緊張状態ではある敵国のエネルギー抽出のための調査への協力は、 ストラタ国内でいい顔はされなかった。 監視つきなら、という条件で大統領以下ストラタのお偉方のお墨付きを得て、ヒューバートがパスカルの傍についている 形を取らざるを得なかったのだ。 「いくら往来が楽になったとはいえ、三国の緊張はまだ続いています。何かのきっかけで、また戦争に発展する とも考えられますよ」 腕組をしてパスカルの作業を見守っていたヒューバートは、あくまで固い姿勢を崩す つもりはなかった。いつ、いかなる場面でも最悪の場合を考え、対処の方法を見出して おくことはもはや彼の性分といってよかった。 「弟くんはあいかわらずだねー。もっと今の平和を喜べばいいのに」 機械を操作する手元からは目を離さず、パスカルは背中ごしになんとも不本意な 返事を返してきた。作業中でも一応、こちらの話す内容はちゃんと頭に入っていたらしい。 先ほどよりも倍の皮肉を込めて言い返してやろうかとも考えたが、結局その場は無言でやり過ごす。 昔からそうだった。 生まれ育ったウィンドルから敵国であるストラタへ養子に出される前より、ヒューバートは悪い結果になることばかりを 考えてきた。 兄と連れ立って裏山へ行くときもそうだった。いつ魔物が襲ってきたら、道に迷って遭難してしまったら、崖から足を滑らせて 助からなかったら。考えれば考えるほど、怖くて不安でたまらなかった。 でも結局その内の、どの結果にもならなかった。 あの裏山の花畑でアスベルとヒューバートはソフィと出会い、そこからすべての出来事がまるで早回しのように 過ぎ去っていった。 成長して再会してからも、やはり兄はまっすぐ前を向いて可能性を信じる兄のままであったし、 ヒューバートは悪い結果ばかり考えるヒューバートのままだった。 昔と変わったのは、それに対して瞬時の対応ができるようになったことくらいだろうか。 そのことでアスベルを羨む気持ちも、無くはなかった。でも今は、悪い結果を考えておくことが自分の役割ではないかと 考えられるようになった。 そうすることで、兄が安心して前を向いていけるなら、それで十分のはずだ。 ヒューバートは思わず笑ってしまった。 本当に、自分がこんなふうに思えるようになるなんて、ウィンドルに戻る前には考えられなかったことだ。 「うーん、お腹減ったからちょっと休憩・・・」 気の抜けるような台詞に視線をやると、目の前にあったのは大蒼海石と機械を前に堂々と地面に手足を投げ出した パスカルの姿だった。 「今何時かなー」 「もう夕方ですよ。だいたい、何度お昼だと声をかけても反応が無かったのは誰ですか」 「お腹減ったよー・・・バナナ食べたい。いや、この際何でもいいや」 「頼むからそのまま倒れたりしないでくださいね。運ぶのは僕なんですから」 「弟くん冷たいー」 口の減らない相手にとりあえず取っておいたサンドイッチを手渡しつつ、ヒューバートは顔を上げて日の高さを確かめた。 「今日はそろそろ引き上げた方がいいでしょう。暗くなってから砂漠を渡るのは危険です」 「えー!もう少しで終わりそうなのに」 「夜までここで転がっていて魔物に襲われて死にたいんですか、あなたは」 呆れたようにヒューバートが見つめるのに気づいたのだろう。パスカルは「しょうがないか」とあっさりあきらめた様子で 飛び跳ねるように身を起こすと、立ち上がってからようやくこちらに体を向けてきた。 にっこり笑ったかと思うと、それがいかにも自然な流れであるかのように話し出す。 「よし弟くん、明日いっしょにラントへ行こう!」 「なんでそうなるんですか?!」 まったく脈絡のない内容に、ヒューバートは思わず声が上擦りそうになった。 そんなこちらの様子を気にも留めず、パスカルはあくまでマイペースに話を進めていく。 「ほら、さっき弟くんも話してたじゃない。いつまた戦争が起きたりするとも限らないって。だったら今のうちに、弟くんも アスベルやシェリアやソフィとも会っといたほうがいいって!あたしもソフィに会いたいし、シェリアのバナナパイが恋しい ところだし」 「結局自分のためじゃないですか!僕まで巻き込むのはやめて下さい!」 「だって弟くん、お仕事ばっかりでカリカリしてるもん」 「誰のせいですか。ここ数日で、僕の机の上は書類の山が溜まっていく一方ですよ」 パスカルの大蒼海石の調査については事前にストラタ側に連絡があったわけではなく、結果的にヒューバートはしなくても いい仕事まで背負わされた格好になる。 頼むからその思いつきで行動するのは止めてくれと思いつつ、視線を合わす。 すると意外に真摯な瞳とぶつかって、ヒューバートは思わずうろたえた。 「会えるときに会いに行けばいいじゃん。家族なんだし」 ストレートな発言に、これではまるで自分がアスベル達に会いたくないように聞こえるではないかと思ったが、 口にするほどヒューバートももう子どもではなかった。 わかっている。 今までは、単にきっかけを掴めないでいただけだ。 そのきっかけを、彼女が作ってくれるというのだ。 ヒューバートは今日何度目になるかわからないため息をつき、ばつが悪そうにずれた眼鏡を片手で押し上げた。 「今やっている作業をできるだけ明日までに仕上げて下さい。僕はラントへ行きますから、あなたもたまには里へ 帰ってあげたらどうですか」 態度が和らいだのがわかったのだろう。口を尖らせていたパスカルは一瞬で笑顔になると、アンマルチア族の特徴である 毛先のみ赤い髪をかき上げつつ頭の後ろで両手を組んだ。 「大丈夫だよ。弟くんよりは帰ってるって」 帰る、か。 そうかあそこは帰る場所なのだなと、不思議な気持ちでヒューバートはその言葉を聞いていた。 「さあそうと決まれば、今日は徹夜かなあ」 振り向いて大蒼海石を見上げたあとに、パスカルは機械に視線を落とした。 「何言ってるんですか。今日は一旦ユ・リベルテに戻るに決まってるでしょう。もうすぐ終わるのなら 明日でも十分じゃないですか」 とんでもないとヒューバートが止めようとすると、パスカルは「ごめん」と舌を出した。 「もうすぐ終わるなんてウソなんだ。だから、徹夜で弟くんも手伝ってくれたら早く里帰りできるかも」 「やっぱり僕の仕事が増えるだけじゃないですか!」 予想外の展開に、ヒューバートは怒りのあまり肩をいからせたまま開いた口が塞がらなかった。そんな彼を尻目に パスカルは利き腕を回して妙にはりきった様子で再び機械をいじり始める。 果てはヒューバートを手招きして「向こうにあるコードを取ってきてー」と言い出す始末だ。 一気に力が抜けたヒューバートは頭を抱える暇もなく、天才技術者の助手をさせられる刃目になった。 空腹はどこへいったのか、上機嫌で機械の画面上のグラフを見つめるパスカルは相変わらず のん気な声で話し続ける。 「ソフィもシェリアも元気かなあ。きっといきなり弟くんが帰ったらアスベルびっくりするよー。 あ、ついでだから教官も呼んじゃおうか?」 「勝手にして下さい。もう・・・」 「うわあテンション低いなあ。もしかして嫌になった?里帰り」 コードをしっかり手渡す相手のなんとも満足げな笑顔を横目にしつつ、ヒューバートは目を伏せ苦笑いするとこう言った。 「別に、嫌じゃありませんよ」
-午後5時43分、陽が沈む前に-
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