抜けるような青空を見上げていると、自分の心にまるで大きな穴が開いているようだと思った。
何か探そうと思っても、今日は雲ひとつ浮かんでいないすっきり晴れ渡った空だった。
欄干から見下ろすと、そこにあるのは変わり果てた帝都の街。しかしあちこちから威勢のいい声が聞こえてきて、底から這い上がる人間の強さを見せつけられているような気がした。
思わずうつむいてため息をつく。
「なにたそがれてんの、おっさん」
気だるげに振り向くと、そこには胡乱なまなざしをした一人の少女の姿があった。
大きな瞳がじろっとこちらを見ている。
もう一つ息をつき、レイヴンは眼下の街の風景に視線を戻した。
「何の用よリタっち。ひやかしならお断りよー?おっさんは今、年概もなく猛烈に反省中なのよ」
「反省?」
一瞬不思議に思ったようだが、少女はすぐに気付き「ああ」と声を上げた。
「エステルね」
その言葉に返事はせず、レイヴンは肘をついて街を眺めたままだった。
重苦しい空気に場が沈む。
ふいに後ろ頭に衝撃が走り、あわてて振り向くと片手に本を持ち上げたリタの姿があった。
てっきりもうこの場を去ったと思っていたレイヴンは、ヒリヒリ痛む後ろ頭に手を当てながら叫んだ。
「いきなり何するの?!」
「うるさいこのやさぐれ親父!」
普段から肌身離さず分厚い本を持ち歩きそれを魔物への武器としても扱う少女は、あろうことかその本で目の前の男を殴りつけておいて暴言を吐く始末だった。
レイヴンはいつものようにおどけて苦笑いするしかなかった。
「あのねリタっち。俺って結構繊細な中年なんだけど」
「黙れ中年。本当に反省してるんならこんな人目につく場所でかまって欲しいオーラ出してるんじゃないわよ。誰もいない所行って勝手に瞑想でもなんでもしてろ!!」
「ひえー、痛いお言葉」
こちらの態度によりいっそう怒りをたぎらせた少女は、今度は狙ったように本の角でもう一撃入れてきた。
こらえきれず彼は笑い出した。
「痛い、これは痛い、わざとでしょこれっ」
「当たり前じゃない、人の顔見て笑って。こっちは本気で怒ってるのよ!」
片手に本を持ったまま腰に手を当て、リタは仁王立ちのポーズで自分より身長の高い相手を見下ろさんばかりの剣幕だった。その姿に妙に安心感を覚えつつ、レイヴンはやっと笑いをこらえた。
「ごめんごめん。じゃあ、おっさん行くわ」
「え?」
先ほどまでの勢いをそがれたように、リタは気のぬけた声をもらした。
じゃあねーと言いつつ、彼は欄干から手を離してその場を去ろうとする。
「どこ行くの?」
「んー、リタっちの言う『人目につかない所』?」
あはは、と笑いながらレイヴンは城のほうへ重い足を向けた。
*
果たして自分は許されたかったのか、それとも裁かれるつもりでいたのか。
どちらかもわからないままにレイヴンは、それでも絶対に行かなければならない確信を持って彼女に会いに行ったのだった。
あの時もそうだった。
彼女は理由も聞かずに黙って彼の後をついて来てくれたのだった。
一度は裏切られた今であるのに、エステルはゆっくりうなずいて言った。
「だいたい、聞きましたから」
誰に、とはこちらも訊かなかった。おそらく先ほどまで彼女の体を念入りなほど調べていたリタか。
(それとも一番平常心で話せるのは、大将かジュディスちゃんかね)
すこし肩の力を抜くことができた。自分の非を自分の口から語るのは自身で自身の傷をえぐるようなものだった。
自分が彼女をあの時クリティアの街から連れ出したことにより、彼女は仲間の下から引きはなされ一人になった。
そしてついには彼女自身の望みをすべて捨てる覚悟までしたほどだったのだ。
たぶんここでエステルが彼に剣を向けたとしても、何もいわずに受け入れただろう。そのほうが彼も楽になれるはずだった。
「顔をあげてください、レイヴン」
いつの間にかうつむいていたことにはっとし、レイヴンは言われたとおりにすると、すぐに小気味いい音とともに左頬をしたたかに打たれた。
驚いた彼は、打たれた頬に手を当てるより打ったエステルの顔を呆然と見つめた。
肩にかかるほどの髪をゆらしながら、彼女はにっこりほほ笑む。
「みんなしたのに、わたしだけしないのは不公平です」
「へ?」
彼女が自分を恨み、怒りをぶつけるのは当然の権利だ。そうされるだけのことをやったと、レイヴンは痛いほど理解している。
しかしエステルは平手打ちしたわけを「不公平だから」と語ったのだ。思わずレイヴンは苦笑した。
わかっていたことだったのに。彼女はやり場の無い感情をむやみに振り回すようなことをする人間ではない。
「ごめんね、嬢ちゃん」
「何がですか」
生きていた、死んでいたとかじゃない。今まで、自分のことしかまともに見えていなかったのだ。
「大将たちと一緒にいたかったでしょ」
彼女はすこしまぶたを伏せた。でもすぐにレイヴンをまっすぐ見つめ、「それはレイヴンも同じはずです」と言い募った。
ふいに言われた内容にすこし目を丸くしてから、「どうかねえ」と肩をすくめる。
「一緒にいたいとか、そこまでは思わんね。でも、もし嬢ちゃんたちと会ってなかったらとか、そういうのもぜんぜん想像できない」
「わたしもです」
レイヴン、と彼女に呼ばれ、彼は「はい」とあわてて返事をした。
「わたしには、レイヴンに何かを言ったり責めたりする事はできません。わたしの力のせいでみんなを危険な目にあわせて、ザウデを復活させてしまった」
「それは、嬢ちゃんが悪いんじゃないよ」
レイヴンはきっぱり否定したが、エステルはゆっくり首を横にふった。
「わたしがいけなかったんです。自分ひとりで全部抱えたつもりで、でも結局みんなを殺してしまうかもしれないって、それが恐かった」
両手をぎゅっと組んで、彼女は目を閉じた。
レイヴンは自分の上司である人物からかりそめの心臓を埋め込まれたときから、みずからの意思で生きていくことをやめた。本来ならテムザの山で朽ちるはずだった体が再び動き出したことはあまりに不幸なことだとしか思えなかったからだ。
なぜ自分は生き返り、『彼女』は死んだのか。
これから自分はどうすればいいのか。
自分の意思を捨てて、人の言うままに動くのはむなしい反面、楽だった。
彼はまるで自分が何にでもなれることが『道具』としての存在価値だと信じて疑わなくなっていった。
それが自身の身勝手な傲慢だと気付いたのは、一人の青年に出逢ったからだった。
「逃げちゃダメだって。わたし自身のことも、ユーリたちのことも信じようって決めたんです」
彼女も同じはずだ。
「レイヴン」
「ん?」
それは明け方の空のすがすがしさに似た表情だった。
*
リタに人目につかないところにいろと言われ、真っ先に思い出したのは城の一番下の階層にある牢屋だった。一番奥の一角に陣取ったレイヴンは備え付けの寝具に横たわる。
目を閉じてしばらくじっとしていると、入り口の外からこちらへ向かってくる足音が聞こえてきた。
やがてレイヴンのいる牢屋の前で立ち止まった姿は、薄暗い空間に溶け込むかのような黒色だった。
「こんなところで何してんんだ、こら」
「大将もご一緒する?けっこう静かで快適よ、ここ」
言った後にレイヴンはこの牢屋が目の前の人物のなじみの場所だったことを思い出して、「経験者だったわねえ」とつぶやいた。「好きでこんなとこにいるやつがあるか」と苦笑したのはいつのまにか牢屋の中に入り傍に座り込んだ青年だった。
「それで、結局おっさんはここで何してんの」
「考えてるの」
「だから、何を」
「んーこれからのこととかね」
何言ってんだ、とユーリは呆れた様子だった。
「決まってんだろ。明日はザウデに行って、必ずアレクセイを止める」
「そりゃあそうだ」
寝具に横たわって目を閉じたまま、レイヴンは深く息を吸い、ゆっくり吐き出す。
その姿をおかしそうに眺めてから、ユーリはからかうように声をかけた。
「しっかり怒られてきたみたいだな」
「・・・・怒られた相手は嬢ちゃんじゃなかった気もするけど」
仁王立ちで肩を怒らせていた少女の姿を思い出しつつ、レイヴンは大きくため息をつくしかなかった。
そして思わず本音を漏らした。
「・・・・『自分で考えてください』、だってさ」
沈黙がしばらく続いた後に告げられた言葉が何か、相手はすぐに察したようだった。
ユーリは息をつく相手の様子を見た後、その場で無造作に座った。
「なかなかしたたかになったもんだな、あのお姫さんは」
「でしょう。誰かさんの教えの賜物かねえ」
からかうようにレイヴンが返すと、黒をまとう青年は「冗談じゃない」と肩をすくめた。
「俺なんか参考にするなよ。自分のツケで手一杯なのに、人のまで回されたらこっちがたまんねえぞ」
「だぁいじょうぶだって。あの嬢ちゃんがまさか大将のせいにしたりすることはないでしょーよ」
「そんなことはわかってる。わかってるけど、こっちが責任感じるんだよ」
頭をかきあげる仕草を見せる青年の姿を見て笑いながら、レイヴンは本心から、しかしあえておどけて言ってみせた。
「どうなっても後悔はせんよ。自分で決めたことならね」
-the child-
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