[4] もし自分の姿が何か悩んでいるように見えたなら、大変な失態だとユーリは考えた。 気遣われることは彼のされたくないことの一つで、そのような隙を見せてしまったことに まずしまった、と思わずにはいられないのだ。 ここは本当に風が強い。 背後から吹きつけてくる風で首にまとわり付いてきた髪をかき上げて、ため息をついた。 別に一人でいることに寂しさは感じたことはないし、不安になることもなかった。 でも、独りであることに初めて恐怖を覚えたのはまさにこの場所だった気がする。 この世界の中心である象徴。城の最奥の扉を開けた先にあるこの御剣の頂。 ここでいったい何を試されていたというのだろう。 あの切羽詰った状況の中、一人でやろうと決めたのはつまり、ある覚悟を決めていたということで、 それは一緒にいる仲間に決して背負わせてはならないものだった。 本当はギリギリまで、どうするか迷っていた。 たぶん、どうにかその迷いを断ち切ろうとして、一人でここへ来ようとした。そうすることで、 自分の中で無理やり覚悟を決めようとしたのだ。 結果的には追いついた仲間たちにおろかな行動だったのを思い知らされたけれども。 そのときのことを思い出してユーリは思わず苦笑した。 「情けねえな」 はるかな高みから見下ろす帝都の街。この場所はあまりに空に近すぎて、 人の生活の営みがまったく見えてこない。 ただ建物の屋根が広がっているのがわかるだけだ。 いい加減寒くなってきたなと思いきびすを返そうとすると、いつからいたのかもう一つ人影があった。 自分とは別の方向を向いて眼下の風景を見下ろす姿に驚いて、頭を掻きながら声をかけた。 「お前な、いるなら声ぐらいかけろ」 相手は驚いた様子もなく、肩上ほどの髪をゆらして振り向いた。遠目にもほほ笑んだのがわかり、いつからいたのかと 考えながら傍まで歩いていった。 「声をかけていいか迷ったので」 すこし困ったように応えたエステルは視線をわずかにうつむかせている。 あからさまに気を使わせているのが身に沁みて感じられて、ユーリは思わず「あー」と声を上げる。 「別にたいしたことじゃない。そうだな、もう終わったことだ」 「終わったことですか?」 「ああ」 あんまり深く追求されたくないのはわかったのだろう。それ以上エステルは聞いてこようとはせず、 代わりに静かに口を開いた。 「わたし、しっかり覚えてます。ここであったこと」 ユーリはその言葉を聞いてすぐに表情を張りつめたが、エステルはこちらではなく 別の場所を見ているようだった。 視線を追って見つけたのは、今二人が立つ広場のちょうど真ん中の辺り。 地面にわずかな傷がいくつも走っているのは、そこで何事か激しいやり取りが交わされたからだと、 見たものにはすぐに分かるはずだ。 「覚えてます、全部」 彼女が振り返って再び出逢った視線が思いがけず突き刺さるようなもので、ユーリは 思わずのけぞるような格好になる。見つめたままエステルは一気にまくしたてた。 「体は思い通りにならなかったけれど、あのときのことは全部覚えてるし、 わたし、忘れたことなんかありません。なのに」 いつの間にか彼女は両手で握りこぶしを作っていて、ずいと顔を近づけてきたので ますますこちらはのけぞるしかない。 どうしてこんなふうに一方的につめ寄られるようなことになっているのだろうか。 口を挟みたいがとても挟めるような状況じゃない。 うろたえるユーリの姿にますます腹を立てるように、目の前の彼女は叫ぶ。 「勝手に過去のことにして、勝手に自己完結しないでください。なんで、ユーリはひとりで考えようとするんですか?」 「わたしだって覚えてます。いっしょに考えていけます。がんばれます」 「なのにいつも何も言わずにひとりでやろうとして・・・」 うつむいていて、その表情は影になっていてこちらからは見えない。 でもだんだん小さくなる彼女の声に気づいて、ユーリは思わず笑ってしまった。 「お前、なに泣いてるんだよ」 「泣いてませんっ」 やっと顔を上げたかと思うと、エステルは目尻を赤くしてやはり涙目だった。それでも鼻にかかった声で 懸命に言い募る姿に、ますます笑いがこみ上げてきてユーリはおかしくなった。 「笑ってないでちゃんと応えてくださいっ」 「いやだって・・・お前目がまっか。まるでウサギだな」 「わたしのことはどうでもいいんですっ。そうじゃなくて今はユーリの話をしていて・・・っなんでユーリは 笑ってるんですか!」 なぜだろう。さっきまで鼻声で尻すぼみだったくせに今は真っ赤な顔で怒りをあらわにしている。 その様子に笑いがこみ上げて止まらない。ついには腹を抱えてうずくまるまで笑っていた。 エステルはそんなユーリにますます怒りを押さえられずにあいかわらず真っ赤になった顔で 「もう知りませんっ」と吐き捨てるとぷいと後ろを向いてしまった。 さすがにやりすぎたと思い、すっかり拗ねて背中を見せてしまった肩をたたく。 「ごめんわかった、オレが悪かったって」 「何がわかったんですか。ユーリの嘘つきっ」 すっかりへそを曲げた鼻声に抑えていた笑いがまたこみ上げてきて、ユーリはひたすら ごめんごめんとあやまりながら今度はくしゃくしゃと頭をなでてやった。 エステルは背中を見せたまま、でもぐずっと鼻をならす音が聞こえてきたので、 やっぱりユーリはひたすらごめんとあやまりながら、頭をなでてやるしかなかった。 「あのときはなにもかもめちゃくちゃだったからな。まずうまく話せる自信がねえよ」 やっとエステルが落ち着いた頃には日が傾き始めていた。 本当なら今日すぐにでも帝都を離れるつもりだったのに、誰も彼も理由をつけてずるずる居座ってしまった。 そろそろ見切りをつけなくてはいけないはずだ。 沈んでゆく日の光を受けてひっそりと影に落ちる街を見下ろしながら、二人は並んで腰かけていた。 「たぶん怖かったんだろうな」 ぽつりとつぶやいた言葉は、エステルに向かって発したようで自分に答えを出すための言葉のようでもあった。 「いつだって、それが誰かを助けるためならどんな手段でも選ぶつもりだった。そう覚悟したはずだったんだよ」 相槌もなく、眼下の風景を見つめて、話す声に静かに耳を傾けている彼女の存在に安心しつつ、ユーリは続ける。 「足も手も、なかなか思い通りに動かなかったな、あんときは。それで、一気に怖くなったわけだ」 また思い知らされた。自分はどこまでも無力な存在だということに。 「オレにはお前を助けることも、楽にしてやることもできない。そうなったら、もう二度と」 「ユーリ」 先をさえぎる彼女に「聞けよ」と、落ち着くよう促す。 「誰も助ける資格なんかないと思った」 あくまで淡々としているユーリにエステルは声を失っていた。 息をつめているのがわかる。 「それが怖かったんだよ」 そう言って笑うと、エステルはこちらを見つめてまた泣きそうな顔をしていた。 だからまた手を伸ばして、淡い色の髪を無造作に撫でてやる。 「お前を助けたのはオレがそうしたかったからだし、そのときのことでいろいろ考え込むのもオレの勝手だ。 だから別に誰かに話すようなことじゃないと思ったんだよ」 言いながらやっぱり情けないなと思い、照れ隠しに彼女の髪をぐしゃぐしゃとかき回していると、 ふいにエステルはその手をがっしり両手でつかんできた。 「わたしは、うれしかったです。ユーリが、みんながわたしを助けに来てくれて」 つかんだ手をそのまま額に当てて、彼女は息をついた。 そして顔を上げると、まだ目尻を赤くしたままで、でもすっきりと晴れやかに笑った。 「自分勝手だって思います。けれど、何度同じことがあっても、きっとユーリに 助けに来て欲しいって、思います」 またうつむいて彼の手を額に当てるエステルに、ユーリは思わず「ばかだな」とつぶやく。 「お前を殺そうとしたのにか?」 言いたくもないことを口にしてしまう。きっと彼女も聞きたくもないことだろうに。 「またお願いすれば、ユーリはそうしてくれますか」 彼女から返ってきたのが予想外に静かな声で、ユーリは大きく息を吐くしかなかった。 「ふざけんな。誰がそんなお願い聞いてやるかよ」 思わず声ににじみそうになる激しい感情を隠そうとしたが、上手くいかずに手をそっと振りほどくと おもむろに立ち上がった。 きびすを返して城内へ戻る道へ向かおうとしたが、それでも一度立ち止まって後ろを振り返る。 すると、にこにこといつになく上機嫌なエステルが後を付いてきていた。 「なに笑ってるんだよ」 苦笑しながらたずねても、エステルは応えずに、両手を口に当てたまま押さえきれないように 笑みをこぼすだけだ。 まるでさっきと逆だなと思いながら前へ向き直ると、歩き出してしばらくしてからぽつりと 声が聞こえた気がした。 ユーリはすぐに聞き返す。 「なんて」 「二度と言わないって、約束します。だからユーリも、またこの街に戻ってくるって約束してください。 知らない場所で、ひとりで考え込んだりしないで」 まっすぐ真摯に見つめてくる瞳に、ユーリはふと、あのときの彼女の無感情な瞳を思い出した。 状況は違うが、やはりかすかにゆれるまなざしを見つめ返して、わかった、と答えて笑った。 「約束するよ」 彼のこわいもの。 彼女の優しさ。
-カレの生き方、カノジョの優しさ-