第四章 ヒズミ
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自分は自分を受け入れたい。その為にも、本当の自分が知りたいんだ。本当の自分を受け入れたい。もしかすると、気付いていないだけで、今のこの自分が本当の自分なのかもしれない。あるいは、今までの自分は仮面を被っていて、本当の自分は今のこの最低の人間なのかも知れない。

だったら、それでも構わない。例え他人から、最低の人間と呼ばれようと、人間のくずと罵られようと、私は本当の自分を受け入れてやる。

今の自分が偽りの自分であっても、本当の自分であっても、仮面の下が最低の人間であっても、私は自分を受け入れる。

狂おしいほど、月へ行きたいと願う毎日だ。魂売るぜ。甘えに繋がるものは全部断ち切る。この世界にはその価値がある。



それ以外の事なんて、どーでもいい。



だから、会社も辞めた。片手間に目指せるようなところじゃない。

霞とも連絡を取っていない。そんなもん、無意味だ。

今の私は、何者からも独立している。





午前八時四〇分。試験会場。

この大きなホールには書類審査を突破した人間だけが押し込められている。私が目指している月往還船搭乗運用技術者の合格枠は五名。パイロット受験者も運行管理受験者も関係無しに集められているこのホールの中で何人が私と同じMSを受験しているかわからないが、この人ごみの中から運用技術者以外の公募を含めても全部で二五名しか選ばれない。ほんの一握りだ。

そのほんの一握りを選出するために、まず基礎専門試験と一般教養試験を受け、これの合格者が後日行われる実技試験に参加できる。そして、その実技試験合格者が最終選考試験を受ける資格が与えられる。それに合格して、晴れてルナフェリー搭乗員になれる。

私は受験票を確認し、与えられた番号の位置の席に座り、鞄を足元に置く。鞄の中に色々な教本を持ってきたが、今更になって見直す気も無く、ただ時間が経つのを呆然と待っていた。

時間が九時に近づくと、試験官が現れ、薄い冊子を配った。表紙に“基礎専門試験(搭乗運用技術者用)”と書かれていた。

試験官は時計を見つめ、九時と同時に試験開始の号令を出した。

周りから聞こえるのは鉛筆を走らせる音、他人の息遣い、時折、空高く飛ぶ飛行機のエンジン音だった。

私もそれに倣い、鉛筆を走らせた。





一二時になり、試験終了の合図が出される。

基礎専門試験はつまらない問題ばかりだった。MS資格試験のほうが難しかったくらいだ。

午後に行われた一般教養試験は、特にこれといって言う事は無い。どこそこのワインの産地がなんだとか、去年優勝した野球チームはどこだとか。皮肉な事に、あか姉の使えもしない話が使えた。



今日の全日程が終了した。私はホテルに帰って、学科試験通過の通知を待つ事にしようと決め込んだ。

出口に流れていく人ごみに混じり、会場の外へ出ようとした時、私は聞き覚えのある声に呼び止められた。

「詩織?」

「…ユキ。」

出口で出会ったその女は、相変わらず、ストレートヘアにヘアバンドをしておでこを出していた。

「どうしたの、詩織? こんなところで会うなんて。」

びっくり眼で、私を見つめながら、声には抑揚が付いていた。

人ごみを避け、出口の横へと移動し、ユキと対面位置に立つ。

人ごみの喧騒を背後に、

「私はこいつに乗ることにした。」

親指で試験会場名を指差す。

“ルナフェリー選抜試験会場”

ユキは茫然自失な顔をしたが、すぐに笑顔に戻り、

「詩織、私も受けるんだよ。」

と、ここで出会った時点で分っていたが、それでもやっぱり、意外な事実を伝えた。

「私はルナフェリー搭乗要員の運行管理者だけど、詩織は運用技術者志望?」

私は頷いて、

「お互い、今日の試験受かってるといいな。」

まぁ、ユキなら楽勝だろうと思うけどさ。

「あ…、私、」

ユキは少し口ごもりながら、

「もう実技試験まで通過してるの。」

「?」

と、私。

ユキは人の顔を見て、口が半開きであることを指摘し、クスクスと笑いながら、

「私、社内推薦で来てるのよ。うちの会社はこの計画の一参加企業だから、三名の社内公募を取っていて、それに選ばれたの。」

すると奥からユキを呼ぶ声が聞こえた。

「広瀬。行くぞ。」

「はい。今、行きます。」

本社の先輩。っと言って、ユキは私にウィンクをした。

「詩織、鹿児島からこっちに出て来て、今どうしてるの? あとで連絡したいんだけど。」

「あぁ、試験期間中は安いホテルにいるつもりだ。電話番号は…覚えてない。」

私は簡単に場所を教え、その場は別れた。



社内公募か。やっぱり、違うんだな。ユキは。本社に行って、公募に選ばれて。それって他人から認められてるって事なんだよな。



すっかり人気の無くなった試験会場から独り外へ出て、後ろを振り返る。そこには、試験会場に使われている大きなドームが鎮座していた。

そして、思い返し、呟いた。自分を奮い立たせるためにも。

「私にはもう、これしか無いんだ…。」



夕方。食事を一緒に取らないかと、ユキがわざわざ私のホテルまで訪ねてきた。本当に来るとは思ってなかった。

私の知らない土地をしばらくユキと二人、歩いた。しばらくすると、海岸沿いに出た。どこまでも続く、浜辺だった。

そこから更に歩き、静かな裏通りを抜けたところで、

「ここでいい?」

と、ユキは私を伺った。

ユキが指したそのレストランは、…高そうだ。

店は地下にあるようで入り口しか分らなかったが、石造りの階段が下へと伸びていたり、入り口のアーチが雰囲気を醸し出していた。

「ユキに任せる。」

とだけ言うと、ユキは頷き、階段を降り、店内に入った。内装はアンティークな椅子やテーブル。石で出来ているような壁に煌々と照らすわけでもなく薄暗いでもない雰囲気のある照明。繁盛しているようで、客は多いが静かな店内だった。

私達はテーブル席に案内され、椅子を引いてもらい、席に着いた。

メニューを開いてみると、やはり高かった。

ユキはどれが美味しそうか教えてくれた。話を要約するとどれも美味しいということだったので、私の独断と偏見とセンスで決めた料理の品を指差し、注文した。



「お待たせしました。」

そう言って、丸テーブルに来た給仕がなにかの呪文のような料理名を言い終えると、今まで見た事も無いような皿に鮮やかに盛り付けられた料理が出てきた。

「詩織、乾杯。」

ユキはワイングラスをすっと上げ、唇を湿らせた。私もそれを真似た。

私はフォークを掴み、料理に突っ込む。

上手い。さすがパスタだ。どこに出しても恥ずかしくない料理だ。

「詩織は本当にパスタ好きね。」

ユキはクスクス笑った。

「お前が、ここがいいって言ったんだろ。」

まぁ、パスタは好きだけどさ…。

私の食べてる様子を朗らかに見ていたユキも自分の食事を取り始めた。

「詩織、会社はどう?」

「あぁ、辞めたよ。」

ワインを呷る。

「え…。」

「月は何かを保険にして目指せるようなところじゃないからな。」

ユキは戸惑ったようだったが、すぐにいつもの顔に戻った。

「そっか。詩織が自分で決めたことなら、私は何も言わないよ。」

ユキはワインを一口飲み、

「天宮さんとは連絡とってるの?」

私はパスタを口に運び損なった。

「…いや。辞めてからそれっきりだ。」

これに関しては、ユキは顔を曇らせたままだった。

「詩織。そういうのはちゃんと連絡取らなきゃ駄目だよ。」

「なんでだよ。ただの仕事仲間だっただけだろ。」

パスタを頬張る。

「それでも、急に辞めたんだから、今どうしてるかくらいは…。」

天宮霞。

「あいつは関係ないだろ。」

「詩織。」

何怒ってるんだよ。ユキ。

「…。」

なんだよ。その咎める様な顔は…。

「…わかったよ。連絡取ればいいんだろ。」

「きっとよ? きっとだからね。」

はいはい。

ユキはいまいち私の反応に納得していないようだった。

その時、それまで静かだった店内が急に騒がしくなった。店の入り口を見ると、数名の男女が騒ぎながら店に入ってきたのがわかった。

馬鹿みたいに声を張り上げながら話していたので、意識しなくても会話の内容は聞こえてきた。どうやら、彼らの中の一人がルナフェリーの試験を受験したらしい。ただ、話を聞く限り、そいつは受かる気は無く、記念で受験しているようだった。

「お遊びで試験に来るな。迷惑だ。」

ユキは人差し指を口元に立て、私に静かに、と諭してきた。

「ユキだってそう思うだろ。」

「…うん。」

ユキは頷きながらそう言った。

「もしこれで、あいつらと月往還船で職員として顔を合わせるようなことがあったら、笑えるよ。」

私が皮肉たっぷりにそう言い放つ。

「この試験はそんな甘いものじゃないよ。詩織。」

ユキはあの集団をちらりと一瞥し、

「…あんなお遊び気分で受けても、そんな半端な事じゃ通用しない。誰にも頼らず、他人を蹴落とす程の覚悟が無ければ駄目だと思う。」

「…。」

私と同じような考え方だ。

「…あぁ、そうだよな!」

私はワインを飲み干す。

「ユキ、この試験。絶対に合格しような!」

ユキは笑って答えた。

だから、私も笑った。

ユキは居直り、こう問い掛けてきた。

「詩織は、何故この試験を受けに来たの?」

「昔、言わなかったか? 月に行くのが私の夢なんだ。」

ユキは首を横に振った。

「ううん。そういう事じゃなくて。会社を辞めてまで、今回の試験に無理して応募した理由よ。」

「…次、いつ募集があるかもわからないし、それに…。」

私は俯きながら答えた。

「それに…?」

「次じゃ駄目なんだ。今回の、このルナフェリーに私は乗りたいんだ。必ず。何があっても。絶対に。月に行けるなら、死んでも構わない。ルナフェリーの募集を見た時、そう思えた自分を信じたんだ。この気持ちばっかりは、理屈抜きで正しいと思うんだ。」

それぐらいの覚悟がある。

「詩織のそう思える理由ってなに?」

ユキの質問。

「理由なんてない。ただ、自分を信じてやりたいだけだ。」

しばらく、ユキは私を見詰めていた。

「このルナフェリー計画に関係するニュース、詩織も知ってるでしょ?」

「いや。」

あいにくホテルにはテレビなんて豪華なものは無い。それに、最近は勉強ばっかりで、テレビも新聞もろくに見てない。

ユキはゆっくりと口を開いた。

「海外でこの計画に反対する組織が爆破テロを起こしたのよ。ルナフェリー計画を牽制しての行動らしいけど、たくさんの死者が出た…。」

「無意味な犠牲だぜ。」

「…詩織…?」

「ルナフェリー完成によって宇宙開発先進国は月で採掘されるヘリウム3を手に入れる。新エネルギーの開拓なんていう、そんな美味しい話、人が死んだくらいで止まるわけがない。」

「でも詩織…。もしかしたら私達も狙われるかも知れないのよ。」

「そんな事で試験を諦めて、月を見上げる生活に戻るくらいなら、爆死してやる!」

「…。」

ユキは肩をすぼませた。

「つまらない事聞いてごめんね。」

そう言って、話題を切り替えた。

「詩織は、月へ行ったら何をしたい?」

「別に、話すほどの事はない。」

そう言ってもユキの聞きたげな顔は崩れなかった。

だから私は、ワインをぐいっと飲んでから、答えを言った。

「月へ行って、月の空を確かめる。私はそれが出来れば満足だ。」

「月のそら? あの空のこと?」

私は頷く。

「そこが空かどうか確かめたいんだ。」

私はただ、その光景を見て、知りたい。

「…こんな理由じゃ、変か。」

理解されなくたっていい。

「ううん。全然変じゃない。なんとなく分るもの。」

「…そっか!」







私達は料理を平らげ、しばらく、いつもみたいな、たわい無い会話をしたとこで、そろそろ帰ることにした。

「それじゃ、先に出てて。」

ユキは会計を済まそうと席を離れる。

「いや、私も払う。いくらだよ。」

「いいよ、これくらい気にしないで。」

現在無職の私には、ありがたいことだった。

「それじゃあ、お言葉に甘えて…。」

「うん。」

店の外に出ると、夜空に月が浮かんでいた。私はそれを見上げた。

「綺麗な月。」

ユキが店から出てきて、そう言った。

「それじゃあ、今日はありがとうな。」

私は夕食の礼を言う。

「三日後にまた会えるといいね。」

ユキは笑いながらそう言った。

そして、私達は互いの帰路へ足を運んだ。





ホテルに戻り、一人、部屋で寝転がる。安いホテルだから、寝転がればそこはベッドだ。

私はおもむろに受話器を取った。



会社に電話をかければ、あいつ、出るかな。



時計を見る。一二時を回っていた。



私は受話器を置いた。





三日後。試験会場に私はいる。学科試験合格の通知を受け取ったのだ。

もっと喜ぶところなのかもしれないが、それを受け取った時、それが当たり前というか、別に何とも感じなかった。淡々と時間が過ぎ、今日になった。

今日は明後日行われる実技試験の説明と受験票を受け取るだけで解散だ。

説明は退屈なもので、どこの会場で行うとか、何時に始まるとか、そんな事務的なものばかりで、試験内容そのものに直接関るような話は聞けなかった。

受験票を受け取った頃には丁度、一二時になっていた。

「詩織。」

待っていたのか、会場出口のところでユキに出会った。

「おめでとう、詩織! 学科試験、通過したんだね。」

「あぁ。とりあえずな。」

ユキは私以上にその事に喜んでいるようだった。

「ユキはもう受験票受け取ったのか?」

「私は先に会社から送られてきてたから。今日は説明を聞きに来ただけだったの。」

ユキは手を後ろで組んで、手を捏ねていた。

「…。」

あからさまに、ユキが何か言いたげなのはわかった。しばらく私が口を噤んでいると、

「…詩織、天宮さんに連絡取った?」

…その話か。

「いや。まだ。」

ふぅっと溜め息を吐かれた。

「駄目じゃない。ちゃんと連絡しなきゃ。」

…別にいいだろ。

「昨日、私のところに天宮さんから連絡があったよ。『詩織さんどうしてます?』って。三日前にこっちで詩織に会った事を、天宮さんに教えたのよ。すごく詩織の事、気にかけてたよ。それに、謝りたいとも言ってた。もしかして詩織、喧嘩したまま出てきたの?」

「…。」

「とりあえず天宮さんには、詩織から連絡あるはずって伝えといたからね。」

そんな事を伝えるなよ…。

「…今更何を話せばいいんだ。」

ユキはまた溜め息をついた。

「詩織。子供じゃないんだから。何だって良いじゃない。最近何があった、とか。」

「…いや、まだ試験受けてる最中だし、」

「そういう連絡でいいの。それを天宮さんに言って上げなさいって言ってるの。」

ユキは腰に手をあて、

「今度こそちゃんと連絡取るのよ。」

と、私に詰め寄ってきた。

「…わかったよ。」

「約束だからね? いい?」

首を縦に振る。

詰め寄っていた体を元の位置に戻し、うん。と頷いた。そして、ユキはちらりと腕時計を確認して、

「それじゃ、私はこれで帰るけど、詩織は帰ったらまず電話すること。今なら会社、昼休みでしょ。いい? ちゃんと電話するんだからね。」

首を二回縦に振る。

「それじゃ、二日後にまたここで会おうね。」

ユキは手を振り、私と別れた。



私は薄い壁で仕切られている安ホテルに戻り、受話器を見つめた。しばらく、そのまま突っ立っていた。

私は受話器を取り、耳に当てる。受話器からは電子音の単調な音が出続けている。

私は電話の番号を押し、単調な電子音を奏でる。

あと一つ、音を奏でれば会社に繋がるというところで、私は受話器を置いた。

今更、何を話せって言うんだよ。

「今、試験受けている最中だ。」

なんてどうでもいい連絡、あいつには要らないだろ。







「詩織。」

二日後の試験会場。会場入り口。ユキがそこにいた。

「この試験をパスすれば、残るは最終試験だけね。」

「あぁ。」

「詩織はグループ何番? 私は一番。」

自分の受験票を確認して思い出す。

「三番だ。」

今日の試験はグループを組まされての実技試験。ユキとは違うグループでの参加となった。

「お互い、合格できるといいな。」

ユキはこくりと首を縦に振った。

心配ない。こいつなら、私が何を言わなくたって試験を突破する。こいつとなら、月の裏側だって行ける。そんな気がする。

「詩織。天宮さんとは連絡取った?」

またその話か。

「…いや。まだだ。」

やっぱり。という顔を見せて、一枚の紙を私に差し出した。

「これ、天宮さんの自宅番号だから。」

私はその紙を開き、数字の羅列に目を落とす。

「天宮さん、詩織の事、とても心配してた。ちゃんと連絡とって上げてね。」

ユキがそんな事まで気を回さなくてもいい…。

私はその紙をポケットに突っ込み、ユキの意に沿うように首を縦に振った。

試験官の腕章をした者が入り口から現れ、試験会場の一室に押し込められている私達にこれから始まる試験内容の説明を始めた。

そいつの話を要約すると、

これから各グループは月往還船に乗り込み、何らかのトラブルに見舞われる。それを解決し、無事ルナフェリーに帰還せよ。との事だった。

月往還船に乗り込むといっても、ここは地上だ。巨大なプールを利用した擬似宇宙を作り出して、そこで行う。

今から水の中が宇宙で、乗り込むモックアップが本物の月往還船って思えってことだろ。そう想定しろって事だろ。

とにかく、自分だけを気に掛けていればいい。これはグループ単位での合格ではない。あくまで個人だ。個人に与えられる課目さえクリアすればいい。

私はユキと別れ、三番グループの月往還船に乗り込むと、既に他の四人が揃っていた。とりあえずこれから八時間はこいつらと過ごさなければならない。パイロットが二人。ユキが受験した運行管理者が一人、会社では先輩が行っていた搭乗科学技術者が一人。そして、搭乗運用技術者の私が揃い、グループ全員が顔を合わせたことになる。

気にかかったのは、パイロットの一人だった。男性の受験率が多い中で、子供みたいな女がそこにいたからだ。

そいつの名前だけ私は覚えた。



ハル・キューブリック



試験開始の合図とともに、実物大の月往還船は一斉にプールの中に潜水をはじめ、擬似月旅行を開始した。

最初の数分は誰も口を開かなかった。自分に与えられた仕事をこなし、ミスをしないよう、ぴりぴりとしていた。

だが、たった数分で、緊張の糸が切れた奴がいた。ハル・キューブリックなる女だった。

「ねぇねぇ、パイロット二人もいるんだから、私、別の事しよっか? なんか手伝うことある?」

とか、

「飽きた!」

とか。

「しりとりって知ってる?」

何て騒いでいるが、周りから完全にしかとされている。

私は船体構造を頭に入れつつ、天宮をあしらう要領でこいつのわがままをかわしていたが、何故か懐かれた。

試験開始から二時間。船体の異常発生を伝える表示が船体管理パネルに映し出された。どうやら、私の出番らしい。船外からの補修作業をしなければいけない状況だという。

私は着慣れたいつものパイロットスーツとは違うルナフェリー用の宇宙服に身を包み、水の中の想定宇宙へと潜った。

辺りを見渡すと、同じ船がいくつも並んでいる。その中に一番グループ、つまり、ユキ達の船も見えた。一通り見渡して分ったが、このアクシデントは一斉に起こるものでは無いらしい。船外活動を行っていないグループもあれば、船外活動を行ってるグループも、いつから始めたのか不明だ。

『はっろぉ〜ん。詩織ちゃんですかぁ〜? こちら月往還船、船長ハルで〜す。聞こえたら右手を上げてくだっさぁ〜い。って言っても、こっちからは見えないんだけどねぇ〜。あはっ、あはははははっ!』

…緊張感の足りない奴だ。

「感度良好。」

『オッケーオッケー!』

日本人のような英語だ。こいつ本当にイギリス人なのか?

『この船の脳みそが正しく機能していればの話しなんですけどぉ、AE25ユニットがいかれちゃってるみたいなんですよ〜。どっすかねぇ?』

私は25ユニットへ移動し、故障箇所を視認する。

「あぁ。そいつの判断は正しい。今から交換作業に入る。」

『任せたよー!』

多少複雑な構造をしているが、出来ない作業じゃない。時間はあるし、ゆっくりやればいい。自分のコンディションだけを考えればいい。



作業開始から三〇分。最初はユニットの交換だけで済むと思っていたが、そう簡単にはいかなかった。

『問題です! で〜れん!』

こいつはイントロを自分の口で唱えた。

『この通信は誰からでしょう。一、ハル。』

「…。」

仮想宇宙である水中に、宇宙服から吐き出される空気が泡になって、水面へと上がる。

『…。まだ?』

「…。一。」

『ぴんぽんっぴんぽ〜ん! 正解者に拍手! ほら、みんなも拍手して!』

通信の奥からぱちぱち、とまばらに手を叩く音が聞こえてきた。

「何の用だ?」

『いやぁ〜、実はさぁ。さっきから水素タンクの残量メーターが高いほうに振り切れちゃっててね? 本当の残量がわかんなくなってるんだよ。』

私は咄嗟に水素タンクのある船体後部を見た。

「ここからは目立った異常は見られない。」

『おっかしぃ〜なぁ〜…。中から色々試してるんだけど、駄目なんだよねぇ〜…。』

「詳しく調べてみるか?」

『ユニットの修理は?』

「もう終わる。」

『なら、それが終わったら、続けて水素タンクの点検っ。お願いっしま〜す!』

私はユニットの交換作業を終わらせ、船体後部にある水素タンクへと向かった。

「聞こえるか?」

『へい! お待ちィ!』

誰かこいつから通信機取り上げてくれ。

「所見だが、特に異常は無い。これから詳しく見てみる。」

『中からも今調べてるから。何かあったら電話するよ〜ん。』



作業開始から二〇分ほど経っただろうか。

『しもしも〜? そちらの様子はどうですかぁ?』

「原因を特定した。バルブが外傷で詰まってる。今から水素供給管を正から副系統へバイパス処置を行う。」

『それ長引きそう?』

「少し時間がかかる。それが?」

『いやぁ〜作業が長引きそうなら手伝おうかなって思ってさぁ〜。』

「EVAが出来ない奴は邪魔になるだけだ。」

『あ、そっか。言ってなかったけ? 私EVA出来るよ? MSの資格もってるし。』

「嘘だろ?」

『マジもマジ! ライセンスはいろいろ持ってるんだよね〜。無免許も持ってるよ!』

いや、そういうのは今、いい。

「パイロットの作業はどうなってる?」

『副船長様が任せても大丈夫だって言ってるよ〜。ねぇ〜?』

いつからお前は船長になった。まあ今はそんな事はいい。

「なら外へ来てくれ。二人でやったほうが効率がいい。」

ざっと周りを見渡す限り、どこも二人でやっているところは無いようだ。

EVA要員として搭乗しているのは一人だ。つまり、ハルの様なEVA要員の二人目がいないか、二人で作業をしてはいけないという縛りは設けられていない事に気づいてないかのどちらかだ。

『お〜またせぇい。』

軽やかに動く奴だな。出口から一蹴りでここまできやがった。

「三と五番の管をバイパスする。私はそれに必要な切断作業をおこうなから、お前はバイパスに使う管を用意してくれ。」

『さー! イエッサー!』

敬礼のポーズをして、船体二番ブロックへと向かった。私が指示する前に私の指示位置に飛んでいったんだ。こいつ、パイロット志望なのに、MS要員だけに必要な船体構造まで暗記してきたのか。



二人がかりの作業はかなりの時間短縮となった。後は誰でも出来るような簡単な作業をやっちまえばとりあえずこのアクシデントは回避できる。そう思い、ハルを船内に戻した。

私は最後の作業に入る。緊張が解けたためか、手元からふと目を離した。すると、ユキのグループのEVA要員が一人で修理を行っていた。

私が自分の作業に戻ろうと目を戻した時、そのEVA要員が事故を起こしたのを目の端に捉えた。

たぶん、工具の操作ミスだろ。そいつは自分の宇宙服の酸素給油ホースを切断しちまったようで、大量の泡が漏れ出していた。

供給が止まったスーツ内の酸素なんてもって一分。そいつが溺れていく様を横目に、私は自分のやるべき事に戻った。

同じEVA要員が一人脱落すれば私の合格率が上がる。そう考えた。

ユキのグループの奴らも、そいつの為に自分のやるべき仕事を放棄するなんてしないだろ。

そう思っていたら、一人、船内から飛び出してきた奴がいた。

ユキだった。

何故、どうして、そんな事してる。お前の仕事はもっと他にあるだろ。そいつが溺れてるのはそいつ自身のミスだ。ユキが助ける必要なんてない。ほっとけばいい…!



私はバイパス作業を終わらせ、船内に戻った。



スーツを脱ぎ、作業が成功したことを伝える。実際コントロールパネルには故障箇所の警告ランプが消えていて、この船は機嫌を取り戻していた。

私はユキのグループの事故を思い出していた。

「詩織ちゃん、どうかした〜?」

「…別に。」

こいつらは外で何が起きていたのかは知らない。コックピットにはマスが刻まれているデジタル化された緑色の宇宙が流れ、本当の外の様子を知るには私のような船外活動員の通信を介さなければならないからだ。

この船の船長が再び私に問い掛けてきた。

「外で何かあった〜?」

私は事実を伝える。

「無かった。」



試験終了まで残り四時間。

ここまですべての作業は順調に進んでいった。

「こんなに簡単に終わるとは思えないんだけどなぁ〜。」

こいつの言う通りだと思った。こんな試験で月往還船のクルーを選び出すとは到底思えない。きっと何かがある。



その予想は的中した。



「電力不足?」

と、私。

ハルは今までに見せなかった真面目な顔を作っていた。

「正確には酸素不足。極低温攪拌使って、正確な量を確かめたし、間違いないよ。なんらかの原因で酸素が漏れたっぽい。」

透き通るようなブロンズの髪をかき上げ、ハルはこの船の電子回路図を広げて説明を始めた。

「この船の癖みたいなものでさ。さっき水素系統の異常ランプが付いたでしょ? これが警告システム回路を先取りして、酸素系統で不具合が起きても警告ランプが付かない欠陥があるんだよ。」

私は顔を強張らせた。

「燃料電池を使ってるこの船は酸素を利用して電力を生み出してる。酸素不足は致命傷だ。後どれくらい残ってる。」

「生命維持限度は残り三六分ってところかな〜。」

船内の空気が重くなった。

この空気を掻き消すためにも、意味も無く、頭に浮かんだ言葉を言った。

「何かあるはずだ…。」

条件は残り二時間半を過ごし、フェリーに帰れればいい。今問題なのは酸素だ…。酸素の消費量を減らすか、酸素を増やすかだ。

「ハル。電源を極力落として、EVA用の酸素ボンベを使おう。」

ハルは困った顔をして、私に事実を告げた。

「電力を落とすのには賛成だけど、EVA用のは私と詩織ちゃんで結構、使っちゃったし、そもそも五人で二時間半近くも持たないよ〜?」

確かに、その通りだ。

「なら、過酸化石灰製剤は? あれなら水を使えば酸素が出る。確か、植物があったろ。あれの肥料に使われてなかったか?」

「残念〜。植物はイミテーションで肥料の類は無いで〜す。」

それに、長時間耐えるだけの酸素を出すとも思えないしな…。残るはやっぱり…。

「大丈夫だよ。詩織ちゃん。」

ハルはVサインをしてみせた。

「この船は今フルで六〇アンペアを使ってるわけだから、単純計算で一二アンペアに落とせばみんな無事に帰還できま〜す。」

そんな簡単にいく話じゃない。メインコンピュータの電源を確保しながら、一二アンペアはぎりぎり届かない。それぐらい分ってたさ。

人間の酸素消費量は一分間に二五〇ミリリットル。二時間半だから残り一五〇分か…。三八リットル近くの酸素を生成するより、一人分、酸素消費量を減らすほうが…。

「ハル。」

「はいな!」

こいつは笑いながら私に顔を向けた。

「メインコンピュータを起動させたまま一二アンペアに落とすのは無理だ。だから、EVAで一旦外に出て、」

EVAが出来るのはこいつだけだ…。幸いパイロットは二人居る。一人減っても問題ない。事故に見立てる自信はある…。

「え? 全部切っちゃうよ? そんなの。」

さも当然のような顔でハルは言った。

「だからぁ。ヒーターもメインコンピュータも人間が頑張れば補えるもんは全部切っちゃうんだって。」

さすがに反論を言わずにはいられない。

「待て。誘導管制はどうする? コンピュータの誘導が無ければルナフェリーとランデブは出来ない。」

「大丈夫だよ。船もフェリーの位置も分ってるし。それに、ホーマン・トランスファーの軌道に乗るコースは取ってるんだからさ。あとは噴射タイミングとその噴射量が分ればオールオッケー!」

「…無理だ。」

私がそう言うと、ハルはにへへ〜っと歯をむき出して笑った。

「じゃじゃ〜ん! 逆ポーランド演算用電卓〜。これでぱぱ〜っと計算しちゃうから、詩織ちゃんはゆ〜っくりしといて大丈夫だよ!」

「…。」

こいつを脱落させて、誘導管制を使い、船を確実にフェリーにつけるほうが…

「詩織ちゃん。私を信じてみてよ。」

…。

「ほら〜、どうせ試験なんだしさ! 死ぬわけじゃないし! 失敗したらドンマイって事で!」

私はさもしい事ばかりを考えた。

こいつをいかにして脱落させるか。こいつにまかせた計算に頼るよりも、私のやろうとしていたことのほうが確実性があるということ。





だが、私は、自らの良心を満足させるために、ハルの提案を受け入れた。





電力のほぼすべてをカットした。ヒーターも他の機器も、照明も。

照明の変わりに、EVA用ヘルメットを被り、ヘルメットライトで明かりを補った。

ヒーターを切り、コンピュータからも熱が出なくなったため、室温は急激に下がり、現在摂氏二度。

「こんなところまで再現する必要があるのか。」

私は愚痴を漏らした。

「でもでも、こっちのほうが緊張感でるよ〜!」

この寒い中でも元気な奴だ…。

「…時間だ。」

このハイテク装備の月往還船の中で、ローテクで弾き出した噴射タイミングにあわせて月往還船の推進剤を燃やした。

「…これで大丈夫だと思うんだけどなぁ〜。」

二度目の噴射を止め、静止軌道に乗ったはずだ。



あとはフェリーにランデブするだけだ。







八時間に及ぶ試験が終了した。ハルは本当にランデブを決めた。本人曰く、計算をしてのロジックにかなったランデブだったらしいが、まず常人には無理だろう。たとえ計算が出来たとしても、それの通りに船を動かす操舵術が無ければならない…。コンピュータによるオート制御ではなく、人の手によるマニュアルでだ。

再び、同じ境遇にあったのなら、私は確実に誰かを脱落させると思う。

それを間違ってると非難されようが、構わない。私にそういう事を言える奴は、きっと、私には想像もできないような境遇を潜り抜けてきた凄い奴なんだろうな。

私には凄過ぎて、そんな奴は関係の無い人間だ。



グループの中には途中棄権や帰還を果たせなかったところばかりであった。

試験結果は後日通達するということで、解散宣言がなされた。

ハルは解散宣言直前まで私のそばではしゃいでいたが、

「お腹と背中がくっついた!」

と言って、飛ぶように帰っていった。あいつ、本当に何歳だ?

私は辺りを見渡した。あいつと、どうしても、話をしておかないと気がすまなかったからだ。

出口へ流れる人ごみの中、私は、ユキの後姿を捕まえた。

「ユキ、どうしてだ。」

突然の詰問に驚いたのか、ユキはたじろいだ。

「何? どうしたの? 詩織。」

私は、事故で溺れた人間を無意味に助けたユキに苛立っていた。

「どうして、あんな奴を助けた。お前はお前の仕事をすればよかった。今回の試験は誰もグループで帰還を果たせとは言っていない。それなのに、どうして試験を放棄する真似をした。」

「だって、見過ごせなかったから。」

だってじゃねェよ。

「それにね。」

ユキは苦笑いを交えながら、

「私はここで落されるのはもう決まってた事だし。」

何を言ってるんだ…。

「今回の社内公募でこの試験に受かるのは私の先輩達で、私はここまでだったの。会社の出来レースよ。」

いつもと変わらないユキの顔。眉一つ動かさない。

「お前は、出来レースと分っていて、なんで参加した…。」

「…出世したいの。上の人間に気に入られるためなら何だってするわ。」

私は近くにあったパイプ椅子を蹴り飛ばした。

「結局、お前も記念受験だったのかよ!!」

「詩織。」

「馬鹿みたいに媚を売るような奴が気安く私の名前を呼ぶな!」

「そんな言い方ないじゃない!」

「畜生! お前とだったらどこまでだって行けると思ってたのに、それを…!」

いや、勝手に思い込んでいただけだったのか…。私の祈りみたいなものだったのか…。独りで生きるって決めてたじゃないか。何を今更なんだ。分ってたことじゃないか。人間なんて、そんなもんだって。

「詩織! もう、私達は子供じゃないの! 子供みたいに、ただ夢だけを追いかけていればいいってものじゃないのよ。」

「夢を追いかけるのがそんなにいけないことなのかよ…! お前だって、夢を追いかけてただろうに!」

「やり方の問題よ!」

「やり方の問題だ!」

なんだよ、お前は…! 結局、お前もそういう奴だったのかよ…!

「詩織、私達はもう子供みたいに、ただ手先が器用だからピアニストになれるだとか、ただ絵が上手だから画家になれるとかそういう次元の話じゃないのよ。自分のやりたい事や自分の意見を通すためには、まず人の上に立たなくちゃ駄目なの。そうしなければ誰も耳は貸してくれないのよ。」

「ああ、よォく分ったよ! お前はそうやって尻尾を振ってればいいさ!」

ユキは顔を赤らめ、眉を今まで以上に吊り上げた。

「詩織の馬鹿! こんなに心配してあげてるのに!」

あげてるだと…!

「押し売りの友情なんていらねェよ!」

私はユキに渡された天宮の電話番号が記されている紙を地面に叩きつけ、外へ出た。

畜生畜生畜生っ畜生…!

意味も無く涙が流れ出した。



考えるな。



足を止めるな。



…畜生。



立ち止まったところで、なんの解決にもなりはしない。今、私に必要なのは、そんな事じゃないんだ。



「…、…っ。」



くそっ…なんで天宮なんて思い出すんだよ…。関係無いだろ…今!



お前は一体何なんだよ!



独りで生きるって決めたろ! 誰にも頼らないって決めたろ! 今更なんだよ! 何もかも! 虫がよすぎるんだよ!

私は歩き続けているうちに、海岸線に出ていた。

日没で太陽が水平線に飲み込まれていく。空は青から赤へ変わり、ただの黒になった。



また性懲りも無く、私の馬鹿な頭は天宮を思い出していた。

前に天宮に言われた事を思い出した。

『人は誰かと分かち合うから、独りじゃ出来無い、色んな事を乗り越えられるんでしょ!』

何言ってるんだよ、天宮…!

「全部、私のもんだ。苦痛も不安も孤独も、後悔も…! もったいなくってな! てめェになんかにやれるかよ!」



私が搭乗員試験の実技試験合格の通知を受け取ったのはこの一週間後だった。









                                       第五章



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