神の存在から考える心の支え、そして人の死について

キリスト教徒にとって唯一神の存在が深く

神への祈り

神の存在から考える心の支え、そして人の死についてここでは神の存在を肯定した上で話を進めさせていただきます。

東洋と西洋では随分と人の死についての考え方が違います。主流の宗教が違うんですから当然ですね。それでは、洋の東西を分けて、人の死について、また神の存在がいかなるものか見てみましょう。まず、分かりやすいところで西洋のキリスト教から。

キリスト教では唯一神をあがめますので、こと信仰の篤いキリスト教徒にとって唯一神の存在が深く根差していることはいうまでもないことです。聖書を心の支えとしてらっしゃる方も多いことでしょう。このキリスト教ですが、かの有名な最後の審判に代表される通り、人の生死について「人生は一度きり」という前提があります。ところが、西暦553年のコンスタンティノープルでの公会議以前、聖書には輪廻転生に関する記述が明記されていました。キリストさんは輪廻転生を認めていたのですね。

そんな重大事項がなぜバッサリ削除されたのか?ざっくばらんにいえば教会権力の強化のためです。人が何度も生まれ変わるようであれば、多少神や教会を軽んじても何らかの形で転生できる。これを「人生は一度きりだよ」としてしまえば、人々は天国に昇るよう必死になり、教会の神父さんの説教にも熱心に耳を傾け、教会の権威も増すんですね。

ここら辺は中高生諸君が論じれば、社会科の先生に一目置かれるかもしれません。なお、最後の審判を謳った「ヨハネの黙示録」なんですが、あれは諸々の福音書などと比べて明らかに異質です。あれも、善良なキリスト教徒の教会通いをより促す意図があった、と考えるのは邪推でしょうか?

ともかく、その点、東洋のヒンディー教や仏教などの死生観はキリスト教と様相をまったく異にします。

「新しい神様」

現代に至るまで輪廻転生を前提としている点もそうですし、やはり最大の違いはヒンディー教が多神教であるということです。仏教も各地域に伝播する中でヒンディー教や中国の道教などから色々な神々を取り入れていきます。

そして、日本に仏教が伝来した時、菩薩さんや如来さんといったえらい方々は「新しい神様」として受け入れられました。

なお、キリスト教などの「唯一神」と日本の「八百万の神」はまったくの別物です。後者は国家や地域の主のようなもの。これも中高生諸君が知っていれば社会科の先生から一目置かれるかもしれませんよ。

話が脱線してしまいましたが、ここで日本人にもなじみ深い仏教を引き合いに出しましょう。

まず、仏教に関して、お釈迦さんご自身は「あの世の存在なんて考えたって意味がない。そんな暇があるなら今を生きろ」というクールな教えを遺しています。このオリジナル仏教に関しては、スリランカから来日されたアルボムッレ・スマナサーラ長老が精力的に著述をしていますので、オリジナル仏教に興味のある方には一読の価値アリです。


お話しの続きはこちら「死は自然の摂理、死と共に人は大宇宙の法則に則り、大宇宙に還元される」
home
2style.net