**まりつき(お手玉歌)**

いちれつ談判破裂して 日露戦争 始まった

さっさと逃げるは ロシアの兵

死んでも尽くすは 日本の兵

五万の兵を 引き連れて 六人のこして 皆殺し

七月八日の戦いで ハルピンまでも攻め入って

クロパトキンの首をとり 東郷大将 バン バンザイ

楽譜はこちら

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**maっちゃんのひとことコーナー**

「いちれつだんぱん」は、「いちれつらんぱん」とも歌っていました。


<註>

*アレクセイ・クロパトキン (日露戦争当時の、ロシア満州軍総司令官)→Wikipedia

*東郷平八郎(日露戦争でバルチック艦隊を破った日本の海軍司令官)→Wikipedia

<参考>



全国各地で、ほぼ同様の歌が歌われていたようです。



「日本わらべ歌全集2下 岩手のわらべ歌」―千葉 瑞夫著―では、「ほとんど『道は六百八十里』の替え歌」と紹介されています。

本来の「道は六百八十里」は、明治24年に永井建子が作曲した軍歌「凱旋(道は六百八十里)」ですが、歌われているうちにメロディーが変わり、しかも出だしの部分のメロディーだけが繰り返される形で「軍歌節」・「軍隊節」として流行したようです。

流行したこの「軍歌節」のメロディーに、少し手を加えて楽譜にしたのが三善和気で、「出征」(真下飛泉作詞)として、明治37年に初演されています。

以上の経緯については、
「童謡唱歌名曲全集続編1」
 明治回顧 軍歌唱歌名曲選
編集者 堀内敬三
発行所 京文社(昭和7年1月25日発行)
参考にしています。

『道は六百八十里』『出征』『凱旋(道は六百八十里)』のページに少し詳しく書きましたので、合わせてご覧下さい。



また、「いちれつ談判破裂して」という歌詞の意味が分かりにくいのですが、日清戦争の頃に流行した『欣舞節(きんぶぶし)』の歌いだしに、「日清談判破裂して」という歌詞がみられます。
この「欣舞節」の流行が、お手玉歌の歌詞に影響を与えていたかもしれません。

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「欣舞節」については、
「わらべうたの研究」研究編
編者  小泉文夫
発行者 〔わらべうたの研究〕刊行会
発行所 有限会社稲葉印刷所(昭和44年9月30日初版発行)
にも、同様の考察が記載されていました。

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<参考図書>

日本わらべ歌全集2下 岩手のわらべ歌」
千葉 瑞夫 著
柳原書店
(1985.1)

 

「日本のうた」第1集明治・大正
編集:野ばら社編集部
  株式会社野ばら社(1998年6月1日初版発行)

 

「童謡唱歌名曲全集続編1」
 
明治回顧 軍歌唱歌名曲選
  編集者 堀内敬三
  発行所 京文社(昭和7年1月25日発行)

 

「わらべうたの研究」研究編
 編者  小泉文夫
 発行者 〔わらべうたの研究〕刊行会
 発行所 有限会社稲葉印刷所(昭和44年9月30日初版発行)

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