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JONATHAN RICHMAN INTERVIEW

これは、2001年2月22日のシカゴ・トリビューン紙に載っていた、インタビューです。
ジョナサンのシカゴ公演を前に、電話で短いインタビューが行われました。
私はデトロイトなので、シカゴの新聞は読めないのですが、ジョナサンのメイルリストで送ってくれたやさしい方のおかげで、また日本語に!!

50歳になったシンガー、ジョナサンリッチマンにインタビュー出来るなんて、ちょっと嬉しい。
しかしブリトニー・スピアズが、胸の整形手術の話をしたがらないように、リッチマンは、自分の音楽については話さないときっぱり言う。

そんなわけで、その話題は避け、安全なところで、彼とトミーが、ツアー移動中にどんなものを食べてるかを聞いてみることにした。

 

「オリーブの缶詰なんかを買う。」 とベジタリアンの彼はいう。
「グラバー印のギリシャオリーブがいいね、その缶詰を食べている。」

リッチマンは、他にライスをぶどうの葉で包んだもの(これも缶詰)も好きだという。 
「缶じゃなくて、出来たての方が美味しいけれど、缶もまぁまぁ、イケル。 移動に便利。忘れちゃいけないよ。」

シカゴで好きなレストランは
「素晴らしい日本食屋さん(『白い花』)があるよ。クラーク通り、ベルモントの北側にね。
料理は最高だよ。そして自然食品屋さんの『シェーリン』。」
『シェーリン』は、リッチマンとラーキンが、移動に備え、買いだめをする場所だ。

「今は、ジョージア州の、アテネから、電話をしているんだけど、ここにも素晴らしい店がたくさんあるよ。」


そんなふうに話すリッチマンはすでに、30年のキャリアがあり、異常な程まで忠実なカルトファンを従えている。
一般には映画「メリーに首っ丈」 で、一番よく知られているであろう。

リッチマンは話を続ける。


「アルファベット3文字の名前の、素晴らしい店があるんだけどね...。
今電話帳で調べてみるよ。 あ、あった。 『GRIT』だ。 (3文字ではない。) 大好きな店の一つだよ。
ジョージア州のアテネには気に入った店がたくさんあるんだ。 ナッツとかそういったものがおいてあってね。
オースティン(テキサス州)も、食事をするのにはいいところだ。 『Las Manitas』がある。

オースティンに行くといつもそこで食べるよ。」

 

リッチマンが熱を入れて語る、移動中の食事の話の中で、彼の歌については何も明かされないように思える。
しかし一方、この率直な食べ物と都市に関する彼の情熱は、彼の作る曲にかなり影響している。
『I Eat With Gusto, Damn You Bet,』、『ベニス・ビーチ』、『リノ』などがそうだ。
新しく出たCD『Her Mystery Not of High Heels and Eye Shadow』 (Vapor)の中にも、彼の風刺と不思議さを見るこができる。たくさんのラブソング(『Couples Must Fight』『Me and Her Got a Thing』、夢見心地なインスト(『Maybe a Walk Home from Natick High』『Leaves on the Sidewalk After the Rain』)ノスタルジックな彼の愛する都市に捧げる歌 (『Springtime in New York』『Give Paris One More Chance』)など。


アルバムは、リッチマンが、長年維持しているテーマ、『普通の人は見逃してしまう愛すべき小さな事』が満載である。
古いビルの臭い、色が薄れる午前3時、女の子はアイシャドウをつけていない、、、。

今月、ラウンダー・レコードから、ベスト盤、『アクション・パックド』も発売された。1987年から1995年の間の素晴らしい歌、22曲が詰まっている。

その中に入っていないアルバムと言えば、1992年の『Jonathan Te Vas A Emocionar』で、それは自分の歌をスペイン語にして歌っている。しかし、『ハー・ミステリー...』では、初めから、スペイン語で曲を書いたという。


最近は、プエルトリコのメレンゲ・スター、 Elvis Crespoや、ボリビアの Azul Azulなどを好んで聴いているという。
他にも、キューバの30年代から40年代にかけて活躍したボレロを着たトリオMatamorosやブエナ・ビスタ(メキシコ)のスター Eliades Ochoa なども好きだそうだ。中でも最近リッチマンが一番気に入ってるのは、メキシコのシンガーソングライター Agustin Lara だ。彼は、30、40年代にかけて 『Granada』、『 Veracruz』、『Farolito 』などのヒットをとばした。


「彼は凄いよ!! メキシコのマリアチ・バンドや、他にもたくさんの人が、彼の曲『Farolito』を歌ってるよ。
こういう感じ、『farolito que alumbra apenas mi calle desierta ...』」
と言って、電話口で歌い出す。 そして Laraの曲は、自分自身の事を素直に語っているようだ、と表現する。
「彼は本当に特別だ。 他の誰とも違うサウンドを持ってるよ。」

By Monica Eng
Tribune staff reporter

February 22, 2002

 


アメリカではほとんどインタビューに応じないジョナサン。
それがなぜか、フランスでのインタビュー。
ギブ・パリス・ワン・モア・チャンスなのかしらねぇ。
以下はベルギー人のジャクーさんが、フランスの雑誌「Rock'n folk」に掲載されたジョナサンのインタビューを英語に訳してくれました。
その記事を私がまた日本語にするわけですから、インタビューはおそらく英語 →  フランス語に翻訳 → 英語に再度翻訳 → 日本語の流れになるわけです。
あまり元記事から逸れ無い事を願って、さぁ、翻訳。



Q : 小さい頃からヨーロッパの文化に興味を持ってましたか?
ジョナサン (以下J): あんまり持ってなかった。 でもボストンの郊外に育って、ラテン系のものに引かれたのを憶えている。
スペイン系の文化とかね。 ビゼーの「カルメン」 とかも好きだった。
ロマン主義なのかな。 どちらかといえば。 ボストン自体とってもヨーロッパ的な町なんだよ。

Q : 「ナインティーン・イン・ネイプルズ」 の曲にもあるように、あなたは若いうちに旅をするのがとっても大切だと歌ってますよね。
御両親はあなたに旅をすることを勧めてたのですか?

J : て言うよりも、非難はしなかったね。 両親は良くヨーロッパの話をしていたし、それで僕の興味も高まったんだ。

Q : どんな子供でしたか? 活発な子? 音楽好き? 本の虫?

J : 活発だったよ。ほんとに。 音楽には興味持ってなかった。 野球ばっかりしてた。 野球が大好きだった。
それに絵を描くのも好きだった。 野球の次に来るのが絵だね。

Q : 60年代に育った家庭の雰囲気はどうでしたか? 世代の断絶なんてありましたか?

J : そういうのは別になかった。 両親はとても理解力があって僕が音楽ををやることを励ましてくれた。
最初のギター2台を買ってくれたのは僕の父親なんだよ。 アコースティックとエレキと。

Q : あなたの曲は現実離れしているものが多いですね。 意識的に実世界から影響を受けるのを避けているのですか?

J : 悪いけどそれは違うね。 世の中をうまく渡って行く人もいる。
昨日の夜、パリをぶらぶらしていて、通りにあるバーからはみんな同じようなテクノ・ミュージックやハウス・ミュージックが聞こえて来るんだ。 バン・バン・バン・バンってね。(ジョナサンはテーブルと膝を叩いてドラムを打つ真似をする。)
僕は時々コンサートでディスコ・ソングをやったりするけど、でもどちらかというと、古いものの方が好きなんだ。 多分それで僕の曲は現実離れしてるように聞こえるんだと思うよ。

Q : 永遠に変わらない感情を歌にしようと思ったことは?

J : もちろんあるよ。 永遠に変わらない感情に引かれる。もしそれに音楽を通して近づく事ができるのなら凄いよね。

Q : あなたは皮肉った感じの曲も決して作りませんよね。 皮肉抜きで、ユーモアを込めるって難しくありませんか?

J : ただどうやってそういうの造っていいかわからないだけかも。
アイロニーには興味が無いんだ。 物事ってもっと単純な物だと思うよ。
人々の感情にもっと興味が行くし、それで僕は十分なんだ。 アイロニーなんか無くっても、この世の中十分に刺激的だよ。
他の人が皮肉った歌を作ってても全然かまわないんだけどね。 ただ僕には出来ないし興味も湧かないんだ。
僕の曲は、一割はふざけていて9割はロマンティックだと思うよ。

Q : 映画「メリーに首ったけ」 のおかげで新しいファンが増えましたか?

J : どうかな。 アメリカでは、あの映画を見た人に、音楽を演奏していた二人組みを憶えてる?って聞くと、ほとんどの人が憶えてると答える。でも、その歌手の名前は判る? って聞くと誰もわかんないんだ。
でもファレリー兄弟は、僕を二つの映画に登場させてくれて、心から感謝してる。 ほんとに寛大な心を持ってる兄弟だよ。 いい経験だった。

Q : 他の時代に生まれて来たかったって思った事はありますか?

J : うん、たとえば、エデット・ピアフの生涯を描いた映画を妻と一緒に観てた時、僕は「1940年代に生きてたらなぁ。」って言ったんだ。
時々そんなふうに思う。 でも僕らは今ここにいるんだし、それはただの偶然ではないと思う。 今僕はここにいる事実を実感して、生きてる理由を理解したい。
良く昔の時代のことを考える僕だけど、現代に生まれて良かったと思ってるよ。

Q : 自分にぴったり合う、他の時代がありますか?

J : メキシコに言った時、ここに2000年前に来たかったって思った。 聖書の時代にもとっても興味がある。 50年代のカルチャーは自分の若い時にかなり影響した。
でも今が大切で、ノスタルジーにばかり浸ってられないって気づかないとだめだ。

Q : 今の時代は本当に楽しいと感じてますか?

J : もちろん。 60年代や70年代よりもずっといい暮しをしているっていう歌を書かなくっちゃいけないね。
特にアメリカでは、以前に比べていろんな人と話しと交すのが楽になったよ。 僕は昔の方が良かったっていつも愚痴をこぼしてるような、そんな人間じゃないんだよ。

Q : あなたは御自分が他の人に比べて変わってるって思いませんか? いい意味で。

J : 前に比べて僕は随分角が取れたのは本当だよ。 本当に世の中と縁を切るのは耐えられないよ。
いくつかの物を避けて、世の中を生きることは可能だからね。 携帯電話は持たない。 自然を大切にする。自転車に乗る。
アメリカではカウンター・カルチャーは力を持ってるし、それがこういう方向に持っていってくれる。

Q : でも何十年にもわたって、人類はただの消費者と変化していっている事実は認めるでしょう?

J : だからこそ、昔を振り返ってみることが面白いんだ。
たとえば、聖書を勉強するとかね。 昔の人がどんなふうに考えていたかを知り、それを実行してみる。 物を無駄にしてはいけない。
Bové(フランスの活動家)を尊敬するよ。 彼は世界的に有名だ。 多くのアメリカ人が彼に影響されている。 (消費主義を)否定するのは難しいけど、必要に迫ってる。

Q : 前回の大統領選挙の時、ラルフ・ネイダー (極左翼)を支援しましたか?

J : ラルフ・ネイダーは確かに一番正直で勇気のある候補者だった。 僕たちの未来を守らなくてはいけないことを理解してた。

Q : あなたは時々聖書のことを口にしますが、信仰深いのですか? ユダヤ教徒ですか?

J : 僕はユダヤ教徒ではないよ。 ヘブライ語は習ったこと無いし。 スペイン語やイタリア語やフランス語の方を勉強してる。 ラテン言語が好きなんだ。
ヘブライ語は古代からの言語で、子供時代から耳にしていた。 僕はそれよりも未知の言語をおぼえたいんだよ。
既成の宗教は信じてない。 でも何か精神的なものは信じてるし、毎日の生活にも影響している。

Q : インタビューをはじめる前に、あなたのレコード会社の人が、フリーメーソン(ヨーロッパ中世の石工技師)について、話せといってましたが。
おそらく、あなたの得意とする話題では...。

J : 違う、違う、フリーメーソンじゃ無くって、ただの石工職についてなんだよ。家のコンクリートを固めるような...(笑)。
フリーメーソンについては何にも知らない。 でも石工技術は習ったことがある。 僕が習得したかったのは、伝統的な石工技術。古代からあるコンクリートの混ぜ方。
パルテノン宮殿だってコンクリートで出来てるんだよ。 砂と火山灰を混ぜてるんだけと、現在造られるどのビルディングよりも頑丈なんだ。 その技法は今でも通用する。

Q : 家にいる時、石工をしたりするのですか?
(インタビューはシュールリアリズムっぽくなってくる.)

J : そうだね、パルテノンは造らないけどね(笑)。 二三、造ったりしたよ。 イタリア移民の三世から習った。
木工細工も好きだよ。 僕が情熱を燃やすものの一つだ。 妻と一緒に、彼女の母親の家のパティオを造ったよ。
(ジョナサンは、そのパティオの様子について熱心に説明し始める。)

Q : そういった仕事と、曲作りは似ていますか?

J : 方法が無いってところで似てるかな。
僕はテクニックとか無くって直感で造っていく。 凄いんだ。 それで精密に出来上がるんだ。 プロセスはいい加減なのにね。
それはまさに、イエーィって感じさ。

Q : Greil Marcus (作家) やセックスピストルズは、パンクに火をつけたのはあなたのバンドだって言ってますが、それについてはどう思いますか?

J : パンクが流行った70年代には、僕はすでにもっと古い音楽に興味を持ってたよ。 その頃すでに、当時の流行は無視してたんだ。

Q : 今日のジョナサンは70年代のジョナサンと違いますか?

J : 完全に違う。 僕の古いレコードを聞くと、僕じゃないみたいな気がする。
「メリーに首ったけ」 を撮っている時、僕らはマイアミに住んでいた。 そこに住めば、ラテン文化に近づけるような気がしたから。
それが僕をかなり変えたと思う。 キューバのミュージシャンと会って一緒にプレイをした。 それが、スペイン語で曲を書かねばって思ったきっかけとなったんだ。
以前は、まず始めに英語で詩を書いてスペイン語に訳してたんだけど、いまでは直接スペイン語で書いてる。 英語よりもいい詩ができるんだよ。

Q : メキシコ文化にも影響を受けましたか?

J : うん、スペイン文化よりも強く受けてると思うよ。 今はサンフランシスコに住んでるけど、メキシコ人街があって、そこはとっても楽しいんだ。 そこにどっぷり浸るのが好きなんだ。
ここ10年間で僕がもっとも影響された文化だね。
(ジョナサンはスペイン語で話しはじめる...)。あっ、混乱してしまうよね、言語をごちゃ混ぜにすると。
アルゼンチンの音楽もよく聴くよ。 カルロスガーデルが好きだ。 なぜ好きかって言うと、表現がとっても自然でゆったりしてるんだ。 感情をそのまま声に出して歌う。 そういう感じなんだ。
これでおしまい。 君はインタビューができたね。 僕については皆語ってしまったよ(笑)。

(The interviewer : Nikola Acin.)(2001)




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